小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

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リアルでなにが悪いか。


脊髄反射で書くよ。


まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

まったくケータイ小説を笑えないですね。

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いい大人がお手軽な「実感」「感動」に酔うのはどうかしてる

じゃあid:lovelovedogさんや、この人たちはどんなものなら『感動』に至れるんだろうかと思った(id:lovelovedogさんは作品自体はフィクションとして楽しんだとおっしゃられているが)。そして、その『感動』はお手軽なものじゃないとどうして言い切れるんだろか。どうにも難儀ですね。結局は主観でしかないのに。ここではどうやら『『兄の人生の物語』に、ノンフィクションドキュメンタリー性の面からのみ感動している人』を想定が想定され、『ケータイ小説の読者と似たり寄ったり』と批判されてるようなんですが、まずもってそんな人いるのかな?
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そんないなくね?
でも
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/asianshore/20071209
メタブクマ層では『これはフィクションだよ!→感動する価値なんかないよ!みんな気付けよ!』という意見が目立つ。なんつーかな、
ノンフィクション性を感動の担保にしてるのは、そっちじゃん』と思う。みんなが『リアル』を感じてるのは、asianshoreさんの『表現』に対してだろう。*1


そもそもid:lovelovedogさんは、当の文章を『元々こういう芸風の人だから』ネタ(創作)に違いない、とメタ判断されてますが、それだけじゃフィクションかノンフィクションかなんて分かるはずありませんよね。むしろ俺は『言葉をこんなに上手にもてあそぶ事のできる人が、すごくクレバーに自分の人生を反映させた文章を書いた』という可能性を考え、判断を保留しました。ので、このエントリーで『なーんだ嘘だったのか!安心!』となってしまう人はどうかと思うよ!


とここまで書いて、どうも『リアル』の意味がずれてるのかなあと思った。『リアル』はつねに『僕/僕たちのリアル』であって、往々にして主観的な心の揺さぶられ具合を指す用語だと思ってるんだけど、もしかして『ノンフィクション性』と同じものだと思われてる節があるのかな。『リアル』は主観的な共感であって、。ノンフィクションとはまた違うよなあ。ノンフィクション性が『リアルさ』に寄与する事はもちろんあるけど、それも表現が伴っていなければ『リアル』にはならない。


表現が『低俗』な場合は往々にしてある。アレだ。テレビ的演出の世界だとか、まあケータイ小説だとか、決して少なくない割合のアニメだとか。でもその場合、批判されるべきは表現であって、基本的にはその消費者じゃないですよね。消費者の存在自体が表現に好ましくない影響を与えている場合は間接的に批判されるべきかもですが。
それは、正直ありますよね。俺だって『萌えオタ爆発しろ』とか思いますが。*2



俺はケータイ小説で感動する人間を笑う人間を嗤うよ。
中二病を嗤うヤツは創作を受容するな。
他人のリアルを嗤うヤツは腹を切って死ね。

*1:ジャーナリズムと創作の混同を、対似非科学的に指摘するのなら理解するけど。

*2:でもまあそれは『作画好き』という俺の信条から発するヘイトなので、(そう常々思っている事に関する責任を)受け入れるつもり。