小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

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スーパーマンについて散文

スーパーマンって星の王子さまだったんですね。いや全然違う。


俺が『スーパーマン』の存在を始めて知ったのは小学校に上がる前。母親に、『電話ボックスに入って変身するヒーロードラマ』であると教えられたのだけど、それ以後アホな俺はなぜかずっと『郵便ポストに入って変身する変なヒーロー』だと思い込んでいて、平板なヒーロー像であるにも関わらず何故か郵便ポストにねじ込まれるという不条理さにおののきつつも惹かれていた訳で、後年どうやらそれが俺の勘違いであると気づいたときの落胆ったらなかった。

スーパーマン ディレクターズカット版 [DVD]

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そんな思い出のスーパーマンをこの歳になって初めて観た。本編がどうのというより、色んな映画のパロディの元ネタが分かって面白かった。Mr.インクレディブルとか。この映画はマトリックスリローデットだなと。いや、マトリロがそもそもスーパーマンだったんだね。冒頭でわざわざ言ってるよね。『スーパーマンしてます』って。何故マトリロが全てを投げ打ってまでスーパーマンをトレースして、あるいは否定して見せたのかは皆目見当がつきませんが。マトリロはスーパーマンなので、当然スーパーマンはマトリロと同様の構造的な困難を抱えていて、つまりそれは例によって最強すぎるって事で、最初っから最強すぎる彼らは、最終的に死の克服だとか時間の超越だとか、そっちの方面の限界を突破する事が求められるのかねえというか。だから何だと言われると判んないんですけど、マトリロのコンテクストとして観ておいて良かった。


スーパーマンがヒーローモノとして特徴的なのは、あくまでスーパーマンはスーパーマンが本来の姿であって、普段のヘタレな姿はあくまで偽装であり、『スーパーマンが一般人に変身している』という構図だと思った。真の姿と仮の姿の関係が倒置されてるというか。で、スーパーマンモードの、素を出してる時ってスーパーマン滅茶苦茶人格者じゃないですか。『なんのなんの、世界の平和のためならこれくらい朝飯前ですよハッハッハ』みたいな。高校時代はイジめられると調子に乗って能力を見せびらかしたりしてたくせに。いつのまにそんなに丸くなったんだよっていう。率直に言うと、ムカつくという。
俺としてはそういうスーパーマンの調子乗ってる感が欲しかった。『お前それ余裕ブッこいてるけどそれはお前が超人的な能力を持ってるからだろ?調子乗ってるだけだろ?』みたいな。よって平常時はただのヘタレじゃなく、救いようの無いルサンチマン人間で。変身すると突然紳士的になって、でも世間的には凄いヒーローみたいになってみたいな。今やってるリターンズは割とそんな感じに補正されてるらしい(?)ので、時間があったら観てみたいなぁ。


スーパーマンアメリカの超人って感じだけど、じゃあ日本で思い浮かぶ超人っていうと鉄腕アトムとか鉄雄@AKIRAとか、どっちにしろ人間じゃなかったり人間じゃなくなったりするな。そういえばドラゴンボールも後半は宇宙人ばっかりだし。日本人に超人思想はなじまないんだろうか。(追記)→あ、ニュータイプがいるな。でもどうなんだ。ニュータイプって結局肯定されんの?(ガンダム詳しくない)