小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

はてなダイアリーの閉鎖をうけ、旧ブログ http://d.hatena.ne.jp/ono_matope/ から移行しました。続きは→ http://matope.hatenablog.com/

『先鋭表現と『手抜き』』、再び。

あんまり他人を晒し挙げるような事はしたくないのだけど、『いいから書いちゃう』という事で書く。今日Amazonのカスタマーレビューの傾向を調べていたところ、こんなのに行き当たった。
映画ドラえもん のび太の恐竜 2006 スペシャル版 (初回限定生産) [DVD]
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ELGLCQ/ref=nosim/onomatope-22

観る側から抗議しないと駄目!
5才の娘と一緒に映画館で観させて貰いました。ストーリーは、オリジナルを踏襲しつつ、細かな設定が新しい解釈に変更されています。
小さい子供が観ても面白い、とてもすてきな内容だったと思います。


しかし、制作者の方々に「一言」いっておきたいと思い投稿いたします。
「絵が荒れる」という表現が適切なのか素人なので分かりませんが、途中、素人でも分かるくらいひどく絵が荒れていました。
特にひどかったのはティラノザウルスに襲われる1回目のシーンですが、あまりにもデッサン(作画)が乱れており、目を疑いました。
(本当にトラッキングがずれる上映ミスかと思いました)
陰影の色分けもされておらず、全体の色指定もが同一色で処理されており、画線のモーションもずれまくります。
最近はこういう「演出手法」もあるそうですが、こういう「手抜き演出は」観る側から抗議しないと駄目だと思うのですが、どうでしょう?
これは「お金を払って観る映画として、許容範囲なのだろうか?」という疑問が頭をよぎりました。


この手の手法は「人手の省力化」「作業時間の短縮」において、大いに威力を発揮します。
古くは「天才バ●ボン」最近では「クレ●ンしんちゃん」のテレビシリーズで観たことがありますが、
これを「劇場作品」でやっちゃ駄目でしょう。
緊迫感を出すために、本当にこの演出しか思い浮かばなかったとしたら、それはそれでショックですが…。


このDVD発売にあたり、指摘させていただいた部分が「リテイク」されることを期待しますが、映画館へ足を運んだ人間としては複雑な気持ちです…。

橋本晋冶に謝れ!…はいいとして。う〜〜ん、気が重くなる。
細田ワンピの時もどこぞのブログが一つ燃えたけど、その時の主張も"影も書き込まれておらず少ない描線で描かれており、手抜きだ。よって承服できない"というものだった。基本的に無知の成せる業なんだけど、この手の人たちはそんなに影なしのアニメが嫌いなんだろうか。80年代な二段影とか好きなんだろうか。
彼らは影や細かい書き込みを、少なくとも劇場レベルのアニメにおいて欠くべからざる絶対不可欠の要素と認識し、その要素を欠く作品は"手抜き"であり"お金を払って観る映画として、許容範囲"ではない、とすら言ってる訳ですよ。楽しんだくせに!うう〜ん、何故こんなことになってしまうのか。考えても

ええとだから、俺が言いたかったのは、あまり先鋭的な表現をしてしまうと、表現論としてのまっとうな批判ではなく、一部から『手抜き』と見なされる、という現象が発生するのかなということです。
小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇) - 先鋭表現と「手抜き」

この時以上の考えに至らない。っていうか影ナシはそれほど先鋭でもないしな。敢えて"何故"を付け加えるなら、アニメ特有の"様式性の高さ"が、こういった"様式からの逸脱"を極端に嫌う鑑賞態度を生み出すのかな、とか、この人たちは画面の質を『書き込み量』とか『作画枚数(2コマ打ちで動いてれば高クオリティ、みたいな)』とかの直線的価値観で図ってるのかな、とか。まあ一部のサンプルを取り出してああだこうだ言うのもアレですけどね。でもYahoo!映画なんか行くとこの手の感想は良く見かけますね。
えーっと眠くなってきた。今このレビュアーに言いたいことは…デッサンの崩れなら、宮沢康紀パートにツッコンでやってください!*1…かな。


追記:コレを書いてから24時間以内に、件のカスタマレビューが消えたようです。……俺のせい?参照:d:id:ono_matope:20060624#1151173924
関連:偉大なるマンネリズムの、その外側に。

*1:二度目に白亜紀に到着した直後の大平晋也なみにぶっ飛んだ作画