小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

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夜神月の死

やぁ、夜神月が死にましたね。漫画界にDIOを越える悪役が出現した瞬間だと思いました。まあ、あり得たことではあったけど、ああ、殺すかあ、とは思いました。昨日その事をOrangeと話していたら『夜神の論理をNが論破するとかって展開がなかったのが残念』と云われて、意外な感想だった。俺は、夜神の理屈は最初から幼稚極まりなく、論破するとかっていう類のものではないと思っていたから。
長々と書いたものの、読み返してみると微妙なので…つづきを読むで。
…俺は常々、『デスノート』は『罪と罰』や『シガテラ』と同一カテゴリのバリエーションだと思っていました。つまり、モラトリアムクライムサスペンスともいえそうな。未熟でとんがった(=排他的な)考えを持った若者が自らの硬直した信念のもと法を犯すが、しだいに破綻し遂には現実の下に粉砕されるという種類の、(類型化された)お話です。現実に打ち砕かれるというのは、つまり大人になると云うことです。
 
そう。実はデスノートという作品は、夜神月の成長譚、青春ストーリーでもあった(はずな)のです。
 
罪と罰』でラスコリニコフは完璧な計画のもと、『害しかなさぬ』ような醜い金貸しの老婆を殺しますが、彼は牢獄の中で愛と信仰心を伴った穏やかな精神(椎名林檎風に言えば、『平穏なる感度』)を手に入れます。だから俺は、きっとデスノートのラストショットは牢につながれた月の姿だろうと密かに予想していました(今思えば、月敗北までのプロセスに彼が心を入れ替える伏線は全くないので、もともと薄い線ではありましたが)。
だからこそ今回の月死亡は意外でした。彼は、成長の機会を永遠に奪われてしまったのでしょうか。いいえ違います。
 
この物語を通じた成長は、夜神月ではなく、作中に登場するあるキャラクターに仮託された、あなたにおくられることになったのです。
 
彼の邪悪さというものは、本当に見事に隠蔽され続けてきました。それは小畑健のガチ美形描写の力というのも本当に大きいのだけど(デスノート初期の月を、頭の中で敗北後の『不細工月』に置き換えて想像してみてください。彼の行動の醜さがよく分かります)、彼の大胆華麗な行動力に、我々が目を奪われていたからではないでしょうか*1そこにシビれた、あこがれた訳です。僕らは。つまり、僕らはキラ信者だったのです。いやむしろ、第一部後半、作品の人気が最高潮に達する頃に突如として現れたキャラクター、「大衆」キラ信者は、単行本売り上げ累計1400万部を誇るデスノートに、夢中になった僕らのメタファーだったのですデスノートの名コピー、”全ての退屈するものへ贈る。”。『退屈するもの』とは誰のことか、もう分かりますね。キラ信者は、退屈していたのです。
 
夜神月の死は、そんなあなたへ降り下された鉄槌であり、同時に愛に満ちた成長なのです。 
作中のキラ信者たちがこれからどうなるのか分かりませんが、いずれデスノートの事など忘れ、日常へ帰っていくのでしょう。祭りは終わったのです。ですが、日本中のキラ信者の中で、夜神月の死を目撃したのはあなただけです。それが、読者と言う地位にあるものの特権です。それを心に刻んで、晴れ晴れとした気持ちで最終回を待ちたいです。

蛇足その一。俺の最終回予想。

  • A.松田がデスノートを手に入れてしまい、自分の心に正直な彼はそれを使ってしまい、名前の分かったNも殺してなし崩しに世界征服。悪夢ふたたびでEND。
  • B.数年後、人間界と死神界のトンネルが開きHEY!HEY!HEY!に自称死神アイドルユニットが出演したりと文化交流を始める富樫漫画風END。
  • C.平穏な日々が取り戻されしばらくして、また新しいデスノートが地上に落ちてきてエンドレスEND。

本命は3だと思って書いてみたら…正直1が一番怖いんですが。

更に蛇足その二。

俺が上で挙げた"モラトリアムクライムサスペンス"作品っていうのは、一種不条理ホラー的でもありますよね。悪夢的というか。どちらも、殺人に至る主たる原因は外部(デスノートを悪戯に試してしまったためであったり、『罪と罰』なら偶然がいくつも重なりラスコリニコフの前に完全犯罪への道が大きく開けてしまった事)にあって、主人公は誘われるように悪夢に巻き込まれてしまう。この手の作品では、裁きの時と言うのは悪夢からの目覚めであり、救済の瞬間であるので、俺は好きです。

*1:もちろん中学生くらいなら、月の新世界論に本気で共感しちゃう子も多かったと思います