小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

はてなダイアリーの閉鎖をうけ、旧ブログ http://d.hatena.ne.jp/ono_matope/ から移行しました。続きは→ http://matope.hatenablog.com/

先鋭表現と「手抜き」

今回の(概してネガティブな)エウレカ第三期OP(byうつのみや理)に対する反応を見ていて、ついこの前Newtype付録のエヴァ特集マトメ冊子で読んだ庵野監督の弐十五/六話(TVのね)に関するコメントを思い出してしまった。

でも、それは怒ると思うんですよ、アニメファンの人たちは。怒る理由も分ります。ただ手抜きだという意見などには残念ですが、失笑してしまいますね。手を入れすぎたスタッフはいても、手を抜いた人は一人もいません。

エウレカエヴァじゃ違うし、否定派が出るのも仕方ないとは思うけど、『下手だ』『丸投げだ』と言う罵詈雑言が出ることに関して、今回の件と通じる部分は多いのではないかと。次はちょっと長いけど面白いから引用。

(前略)ワザとです。間に合わなかったとか、そういう問題じゃない。とにかく、セルアニメーションからの開放をめざしたんです。ただの記号論なんですよ、セルなんて。(中略)"セルじゃないから完成品じゃない""セルじゃないから手抜きだ"なんて文句をつけてくるアホウな連中に何か言いたかったわけですね。それは開放なんです。自分がもってる固定観念みたいなものを、とにかく破壊してくれと。(中略)でもフィルムの中にドキュメンタリズムを入れてみたい―というのが僕なりのライブ感覚なんです。(中略)線画が出たときに、業界の一部の人間に手抜きと言われましたが、あれを手抜きと見る時点でもうダメです。あれを"表現"として狙ってることに気づかない、というより、観念がすでに存在していない。

放送当時、最終二話に狂喜乱舞していた俺が、その後平面男でああいう実験をやりたくなった源流がここにあるようなという自分語りはさておき、個人的にとても共感できる言説。この後パソ通でのバッシングに話が及んでますます面白くなるんだけど、省略。
ちょっと関係ないところまで抜いてしまった気がするけど、うつのみやさんは既存の記号をバシバシ再構築する人だと思っているので、それでもって『下手クソ』『クソ作画』言われる状況が似てるかなと。id:takeshitoさんも言われているとおり、ライトユーザーの多い、キャラ要素の強い作品で登用する事自体が問題という部分も確かにあるけど。
もうひとつ、『フリクリ』6話の漫画風シークエンスで、ナンバダ父が『それなのに手抜きだって言われちゃうし〜。ねえ?』とぼやいてたなあと。これもアニメ表現が既成の枠からはみ出そうとしているとても弐十五/六話的なシーンで、ここでも『手抜き』だと言われると。
ええとだから、俺が言いたかったのは、あまり先鋭的な表現をしてしまうと、表現論としてのまっとうな批判ではなく、一部から『手抜き』と見なされる、という現象が発生するのかなということです。*1

*1:そういえば細田ワンピでも…