小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)

はてなダイアリーの閉鎖をうけ、旧ブログ http://d.hatena.ne.jp/ono_matope/ から移行しました。続きは→ http://matope.hatenablog.com/

偉大なるマンネリズムの、その外側に。

のび太の恐竜2006観てきた。平日の午前など、子供のいない静かな時間に観に行こうと思っていたけど、諸般の事情により、夕方の回を未就学児とその親でごった返す地元のシネコンで観る事になった。が、結果的に、それでよかった。
 
で、今回のドラえもんですが。やばい。やばい。何がやばいって、俺にはのび太が、『塾通い』に見えたことだ。もちろん、そんな描写はないし、そんな事実も無い。でも、俺には『こいつ塾通ってそう』と思えてしまったんだ。のび太が。いや、違う。頭良さそうに見えた、とかそういう意味じゃなくて、彼(彼ら)が『学校と自宅と空き地(と友人宅)』以外の場所で生活している姿が(リアルに)想像できる余地があったということだ。その事に驚いた。
 
もっと言えば、『こいつは来年は六年生になるし、その次の年は中学生になるんだ』と思えてしまったという事である。それもリアルに!この映画は、時が動いている!そう感じた時は、少なからずショックだった。
 
そもそも『ドラえもん』なんてものは、『終わりの無い漫画』の王様みたいなものだった。そもそも一つに定まった最終回というものが存在していないし、『ドラえもん世界』というものは『学校と自宅と空き地(と友人宅)』というスポットで点展開され、基本的に外界の人間との対立は存在せず、今振り返れば非常に、非常に閉じた物語世界だった。『終わり無き文化祭前日』など問題ではない、もっと大切な、『終わり無き子供の時間』を永遠に周回していた。25年間周回し続けていたのだ。
 
その時間が動き始めてしまった!
 
まず美術だ。この美術は(確信犯的に)『耳をすませば戦法』だ。徹底的にディティールを積み上げて行き、フィクションにドキュメンタリー性を"与えてしまう"あの手法だ。あの多摩丘陵のリアリティが『耳すま』に魔術を与えたように、『東京ゴッドファーザーズ』の都市描写が作品をファンタジーたらしめたように、『2006』に投影される住宅地の家並みは、何某かの主張を含んでいる。では、その素晴らしい美術技術で作品に付与されようとしたドキュメンタリー性とは何なのか。
 
ここで重要なのが、副題『のび太の恐竜2006』だ。そもそもいったい何故、大事なタイトルに、如何にも安易な『2000』とか『2001』のように、わざわざ作品の経時劣化を誘発する『年数』なんて挿入してしまったのだろうか…?決まっている。
 
このドラえもんは、まさに2006年が舞台だからだ。
 
冒頭ショット、のび太主観で3Dモデリングされたスネ夫の家の居間をぐるぐると見回す、明らかにやり過ぎなカットは、その事を高らかに宣言するために配置されている。テーブルのポテチをほお張りながら部屋中を見回し、最終的に観客の視線は恐竜講釈をたれるスネ夫に向けられるが、そこでカメラが本当に写しているのはスネ夫ではない。スネ夫の背後に掲げられた(格差社会モノリス)、黒く輝く大型壁掛けプラズマテレビなのだ。『2006』は、背景美術によって同時代性を獲得し、その同時代性によって作品世界が動き出している。
 
もちろん、作画もすごい。でも、コレは俺が観る前から知っていた凄さとは少し違っていて…。
作画監督は、千年女優東京ゴッドファーザーズ作画監督を務めた小西賢一さんで、氏ならではといったところなのだろうか、とにかくみんな気前よく気持ちよく動く。しかも、緩急をつけつつクオリティの底は決して下げないところが男前。芝居は、東京ゴッド〜のギンちゃんみたいな芝居をドラえもんキャラがやってると思ってもらえば近いような。それ以外にも、タケコプターで飛ぶのび太達が、"編隊飛行"していたり、『Mr.インクレディブル』より恐い滝落下シーンなど、めちゃくちゃ上手い(この辺はコンテの仕事だけど)。しかし、『温かい目』のギャグをはじめ、『面白い動きのギャグ』がてんこ盛りで、その全てが会場大受、という事態に遭遇するに至って、『子供のいるハコで観て良かった』と鑑賞前の考えを改めた。
 
いや、ここまでは予想の範疇だとしましょう。だけど、俺が一番驚いたのは、ブラキオザウルスvsティラノザウルス、つまり森久司氏の"デジモンバトル"シーンに差し掛かったとき。ブラキオザウルスの長い尾が鋭くティラノザウルスを湖に叩き込んだ(予告で見えるカットですね)瞬間、会場が
 
   小学生たち「おぉぉ〜」
 
と低く唸ったんですよ!もうね、なんかもう俺目頭が熱くなっちゃって。たまにTVで暴れると、すぐ2chあたりで『クソ作画』『韓国』とか言われてしまうような人たちの作画が…子供たちに届いている!思う存分やっちゃって下さい!という気分だった。
 
とにもかくにも、本作は、『芝山ドラ』という偉大なる『偉大なるマンネリズム』を殺す事に成功している。次回作で、また時計を巻きなおすのか、さらに時間を進めるのか、楽しみ。(それは少し寂しい事かも知れないけど、)俺はこの映画を祝福しておきたい。
すっげー面白かったぜ!
 
 
 
    …って俺はどんなキャラだ。*1

*1:興奮して書いた。書ければなんでも良かった。今は懊悩している